- 教員の現場にある“忙しさが美徳”という空気感
- しんどい自慢・がんばりマウントにモヤモヤしていた理由
- 「忙しさを手放す」ことに感じた罪悪感とその乗り越え方
- ゆるく働くことを選んでから、私が得られた変化
- 自分を守るための“がんばり方”とは何か、考えるヒント
目次
それって必要なプライド?
「昨日3時間しか寝てない」
「土日も部活で休めなかった」
「帰宅は23時。明日も7時出勤です(笑)」
職員室でよく聞くこんな会話。
かつての私は、「みんな頑張ってるんだな。私も負けないようにしなきゃ」と思っていました。
でも、あるときふと違和感を抱いたんです。
「……これって、そんなに誇れることなのかな?」
気づけば、「忙しいこと」が評価されて、
「余裕がある人」は“ゆるんでる”ように見られている。
この記事では、
そんな“忙しいアピール”が飛び交う空気にモヤモヤした私が、
あえて“ゆるく働く”選択をした理由と、その先に見つけたことを綴ります。
1. 忙しい自慢に違和感を覚えた瞬間
「昨日3時間しか寝てないわ〜」
「この土日も部活でつぶれたよ」
「帰ったの23時。でも明日も7時出勤(笑)」
…それって、本当に誇れること?
教員の世界では、なぜか“忙しい人ほどすごい”という空気があります。
そんな空気に飲まれて、
私も「忙しい=ちゃんとしてる」と思い込んでいました。
でも心のどこかでは、「なんか変だな」と感じていたんです。
2. 教員の“しんどい競争”文化ってなんなの?
教員の職場には、
いつの間にか「忙しさを競い合う」ような文化があるように感じます。
・残業してる=がんばってる
・土日出勤=子ども想い
・寝不足=努力してる証
どれも“がんばってるように見える人”が、評価されがち。
でも、それって本当に健全なんでしょうか?
「私は今日も残業」
「まだ帰れない」
そんな“しんどいマウント”が飛び交う職場に、
私は少しずつ疲れていきました。
3. 忙しさを手放すのが「怖かった」私
とはいえ、私自身も長い間
「忙しくしていることで自分の価値を保っていた」ように思います。
・頼られる=うれしい
・予定が詰まってる=戦力になってる
・仕事が多い=必要とされてる
だから、「ゆるく働く」ことがこわかった。
「本当にそれでいいの?」
「さぼってると思われない?」
「周りに迷惑かけない?」
そんな不安がずっと頭にありました。
でも、がんばってもがんばっても終わらない毎日に、限界を感じ始めていました。
4. ゆるく働く選択をしてみたら変わったこと
思い切って、私は少しずつ“ゆるさ”を取り入れてみました。
- できるだけ定時で帰る
- 休日は仕事を持ち帰らない
- できることを人に任せる
最初は罪悪感だらけでした。
でも、学校はちゃんと回ったんです。
- 子どもたちは変わらず元気だった
- 授業も普通に進んだ
- 誰にも責められなかった
それどころか、自分の気持ちにも余裕ができたことで、
- 子どもとの関わり方がやさしくなった
- 体調管理がうまくいくようになった
- 副業や勉強に使える時間が増えた
と、たくさんの変化がありました。
5. まとめ|“がんばってる風”より、自分を大切にする働き方を
教員の職場に漂う“しんどい=美徳”の空気。
でも私は、それに乗らない選択をしました。
「がんばってるように見える自分」より、
「自分をちゃんと大切にできている自分」のほうが、
今の私はずっと好きです。
がんばり続けることが“正解”じゃない。
- 定時で帰っていい
- 休んでいい
- 手放していい
そう思えたとき、
ようやく“働き方を選ぶ自由”が、自分の中に生まれました。
◆あとがき
私は今も、完全に“ゆるく働けている”わけではありません。
でも、“忙しさを誇る”より、“余白を選ぶ”自分でありたいと思っています。
この記事が、
誰かの「そうだよね」のきっかけになったら嬉しいです。
がんばり方を、選び直してもいい。
あなた自身を守れる働き方、少しずつ一緒に見つけていきましょう。
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