定時退勤って、なんでこんなに難しいんだろう。〜教員1年目の私が気づいた、働き方のリアル〜

【定時退勤】ができないのは、私だけ?と思った話

定時は16時45分。

でも実際に帰れる日は、ほとんどありません。

部活指導が18時まであるのは当たり前。

その後、生徒がようやく帰っていったあとに、やっと授業準備や書類の作業が始まります。

しかも、生徒が「なんとなく」残っているときは、その相手もしなければならない。

こっちが山ほどやることを抱えていても、「今日は早く帰ってね」と言える空気ではありません。

定時退勤に対して、どこか「甘え」や「やる気がない」という目線すら感じる。

校内全体に流れる“定時退勤は悪”という空気のなかで、気づけば自分も、誰よりも遅くまで残る日々が当たり前になっていました。

残業時間は、月に100時間を超えることも。

それが“平均”だという現実に、私は言葉を失いました。

初めて定時で帰ってみた日のこと

ある日、仲の良かった同僚が、過労で倒れてしまいました。

毎日夜遅くまで残って、週末も部活に出て、ずっと頑張っていた人です。

その姿を見て、初めて本気で「健康って、こんなに簡単に失われるんだ」と実感しました。

そして私はその日、仕事が終わっていなくても、初めて“定時で帰る”という選択をしました。

校舎を出たのは、17時ちょうど。

まだ外が明るい時間に家へ向かうのは、何年ぶりだっただろう?

ふと、「ここからなんでもできる気がする」と思ったんです。

不思議と罪悪感はありませんでした。

むしろ、心がふっと軽くなって、自分を取り戻せたような感覚でした。

そして驚いたのは、その翌日。

仕事は終わっていなかったはずなのに、なぜか作業がスムーズに進む。

集中力も違う。頭がちゃんと回る。

「あれ、無理して残ってた日のほうが、逆に非効率だったかも」って思ったんです。

定時退勤は、当たり前の選択。

定時で帰ることは、わがままでも、逃げでもありません。

それは本来、“当たり前の選択”であるべきこと。

教員の仕事は、終わりのない毎日の連続です。

やろうと思えば、夜遅くまでいくらでも働けてしまう。

でも、それで体や心を壊してしまっては、何の意味もないと私は思います。

仕事が終わっていなくても、「今日は帰ろう」と自分に言ってあげる。

そんな風に、自分を守る選択がもっと“普通”になってもいい。

毎日は無理でも、週に1回、月に1回だけでも。

あなたにも、「帰っていい日」をつくってほしい。

定時退勤は、“甘え”じゃない。

未来の自分を守る、まっとうで、当たり前の選択です。

【おまけ】

このブログでは「教員でも、自分らしく働きたい人へ向けて」

働き方・副業・日々の気づきを発信しています。

もしよければ、他の記事も読んでみてくださいね。

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