- 教員という職場で“真面目な人”が抱えやすいしんどさ
- 真面目に働いても報われない現場の構造
- 自分を守る“がんばり方”への切り替え方
- 教員でもできる「休む準備」や「断る工夫」
- 真面目さを強みに変える考え方
目次
「真面目にやってきたのに、なんで私ばっかり?」
教員として働いていて、
何度も何度も頭に浮かんだ言葉があります。
「真面目にやってきたのに、なんで私ばっかり?」
誰よりも早く出勤して、誰よりも丁寧に仕事して、
頼まれごとにはYESと応えて、準備を抜かりなく整える——
でも、ふと気づくと
「余計な仕事」がどんどん自分に集まってきて、
“できるから” “安心できるから”という理由で任され続けていた。
一方で、
仕事を断る人や、要領よく手を抜いている人ほど、
元気で楽しそうに見える。
「あれ…私の“がんばり方”って、間違ってた?」
これは、教員8年目の私がようやく気づいた、
“真面目さ”に振り回されすぎた日々と、働き方を変えた理由についての記録です。
教員という職業が“真面目さ”を吸い取っていく理由
教員の現場には、
「真面目な人ほど損をする」構造が、残念ながら存在しています。
● 頼られる人に仕事が集まり続ける
「この人なら断らない」
「ちゃんとやってくれるからお願いしよう」
そんな理由で、特定の人に仕事が集中する。
雑務・委員会・部活動・行事準備…
それらが、“できる人”ではなく“断れない人”に回ってくるのです。
● 頑張っても評価は横並び
真面目に頑張っても、給料は上がらない。
むしろ「やって当然」と思われ、
断る人と同じ評価・同じ待遇になってしまう。
「助けたい」「手伝いたい」という気持ちが、
便利に扱われて終わることも多かった。
● 気づけば「いて当然」の存在に
気がつくと、
「この人がいないと回らない」と言われるようになる。
でも実際は、「この人ならやってくれる」が都合よく積み重なっただけ。
教員という職業は、真面目じゃないと続かない。
でもその“真面目さ”が自分の首を絞めてしまうことがあるんです。
真面目にやって、私が抱えていた“しんどさ”
私はずっと、
「頼られること=信頼されてること」だと思っていました。
でも現実は——
- 断れない日々
- 人に頼れない空気
- 責任感で押しつぶされるプレッシャー
最終的には、「自分がいないと回らない」と思い込んで、
仕事も気持ちも1人で抱え込むようになっていました。
気づけば、毎日が
「これをやっておかないと…」の連続で、
自分の時間や感情に余裕がなくなっていった。
「がんばってるのに報われない」
「何のために働いてるんだろう」
そんな感情が、静かに心をすり減らしていきました。
見直した“がんばり方”と、変えたルール
限界までがんばったその先で、
私は“がんばり方”そのものを見直すことにしました。
● 「頼られる=価値」ではないと考え直す
- 業務の属人化を避けてマニュアル化
- 「私じゃなくてもできる仕事」は分担
- 「できる人」ではなく「1人で抱えない人」になる意識
● 休む準備をしておく
- 休みたくても休めない状態を作らない
- いつでも引き継げるように整理しておく
- 「休んでも大丈夫」と自分に言える余白をつくる
● 定時退勤を“特別なこと”にしない
- 自分のための時間を持つ
- 翌日の仕事効率を上げるための「先行投資」
- 家族・趣味・副業の時間に使うことで自己肯定感UP
● 一番必要だったのは「断る勇気」
断ることは悪じゃない。
むしろ、線引きできる人は“尊重される”ことを知った。
真面目だからこそ、無理しない働き方を選んでよかった。
まとめ|“真面目さ”は、振り回されるものじゃなく、使うもの
私は今でも、
「真面目でいること」を悪いとは思っていません。
でも、真面目さに振り回されてしまっていた過去の自分には、声をかけたい。
- 断ってもいい
- 頼ってもいい
- 休んでもいい
がんばることはすばらしいけれど、
がんばる方向を間違えると、自分をすり減らしてしまう。
真面目な人ほど、自分の“がんばり方”を疑ってほしい。
そして、自分を守るための働き方を選んでほしい。
“がんばる”は、武器にもなるし、呪いにもなる。
あなたは今、どちら側で使えていますか?
あとがき
この記事を書いて、あらためて「自分を守る働き方」の大切さを実感しました。
教員という仕事は、尊いです。
でも、「やりがい」だけで走り続けるには限界がある。
真面目であることを、強みにするのか、足かせにするのか。
その違いは、ほんの少しの視点と、行動の差なのかもしれません。
この記事が、今しんどい誰かの“ちょっとした立ち止まり”になれたらうれしいです。
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