- 教員が「休めない」と感じてしまう理由
- 有休が取りづらい職場の空気と現実
- 無理して出勤していた私に起きた“気づき”
- 休めるようになるために意識した行動や考え方
- 「自分を守ることも仕事のうち」と思えるようになった背景
体調が悪くても、無理して出勤してしまう。
休んだ方がいいとわかっていても、心がブレーキをかけてくる。
「今日私がいないと困る人がいるかもしれない」
「代わりの先生に申し訳ない」
「また休んでるって思われたくない」
そんなふうに考えて、私は何度も「休みたいのに休めない」選択をしてきました。
それが当たり前だと思っていたし、
むしろそれが“責任感のある教員”の姿だと思っていたから。
でも今は、少しずつ考えが変わってきました。
「休むことって、逃げでも甘えでもない」
それもまた、“プロとしての選択”なんだと、私はようやく思えるようになったんです。
目次
◆1. 休むことが“怖かった”私
「今日くらい無理すれば大丈夫」
「明日こそちゃんと休もう」
そんなふうに毎日を先延ばしにして、
気づけば「1日も休めない人」になっていた私。
休むことで誰かに迷惑をかけるのが怖くて、
子どもたちに申し訳なくて、
職員室の空気に気を遣って、
結局、自分の体と心を後回しにしていました。
◆2. 教員が「休みにくい」現実と空気感
教員は「一人一担当」が基本で、代わりがいない。
休めば授業が止まる、行事準備が止まる…そんな構造。
それだけじゃなく、
「今日なんで休んでるの?」「どこ行ってるの?」
と詮索されたり、
「また休み?」と冷たい目を向けられたり。
有休は法律上の権利なのに、
まるで“ズル休み”のような扱いをされることも。
それが、教員が「休みにくい」と感じる理由のひとつです。
◆3. 私に訪れた“転機”
ある日、体調が悪くても「今日は絶対に行かなきゃ」と出勤した私。
でもその日の授業はボロボロで、ミスを連発。
結局、子どもたちにも同僚にも迷惑をかける結果に。
そんなとき、仲の良かった先輩が倒れて長期休養に入ったんです。
誰よりも頼りにされていた人。
でも、その人がいなくても、学校は普通に動いていました。
「え、じゃあ私が無理してる意味って…?」
そう思った瞬間、
私の中で“休む=ダメなこと”という前提が、少しずつ崩れていきました。
◆4. 休めるようになるために意識したこと
●「休む準備」をしておく
正直これが、一番効果的でした。
「いざとなったら休める」という安心感をつくるために、
普段から“休む前提の仕組み”を作っておくことが、私にはとても大きな変化をもたらしました。
<私が実践している具体例>
・授業の進度メモと教材フォルダの共有
→ Googleドライブなどで進度・板書・プリント類を整理しておく
・子どもたちへの指示テンプレート
→ 「先生が休んだ日の動き」を見える化して、子どもたち自身も自走できるようにする
・学級運営の“見える化”
→ 当番表・連絡帳・日直ノート・行事準備物などを常に整えておく
・急な代行へのメッセージメモ
→ 「この子は配慮が必要」「これだけは伝えてください」などの備え
これらを整えておくと、自分しか知らない仕事が減り、
「いざというとき、誰かに任せられる」安心感が生まれます。
●「代わりに動いてくれる人を信じる」
“申し訳なさ”よりも“感謝”を大切にする。
助けてもらうことで、助け合える関係ができる。
「任せても回る」という経験が、自分を休ませる後押しになりました。
●「自分の健康を守るのも仕事」と捉え直す
元気じゃないと授業もうまくいかないし、
子どもへの関わりも優しくできない。
だから私は今、こう考えています。
「自分を守ることも、仕事のうち。」
◆5. まとめ|“ちゃんと休む”ことができてこそ、続けられる
無理してでも出勤することが、いつの間にか“えらいこと”になっていた。
でも実際は、
無理して働いて体調を崩しても、誰も幸せにならない。
「仕事の責任を果たすために、休む」
その考え方に変わってから、
私はようやく「働き方を選べる自分」になれた気がします。
◆あとがき
今でも「今日は休んでいいかな…」と迷う日があります。
でも、「ちゃんと休める自分」であることに、
私は少しずつ自信を持てるようになってきました。
“休む勇気”って、ほんの少しのきっかけと、許す気持ちから生まれるのかもしれません。
この記事がそのきっかけのひとつになれたら、うれしいです。
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